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Kinarino Column ~冬の武相荘(旧白洲邸)を訪ねる~

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    皆さんこんにちは。
    キナリデザインの立川です。
    今週末はまた寒くなるようですね。
    寒さ対策・乾燥対策をしっかりして、花粉に備えましょう!

    さて、ある冬の日のこと、私たちは東京・町田市にある古民家で、現在は記念館として一般公開されている、「武相荘」を訪れました。

    こちらの「武相荘」は、白洲次郎(1902-1985)と白洲正子(1910-1998)夫妻が1942年に、戦争の影響で東京を離れることを決め、農村での生活を選び移り住んだ古民家です。
    「武相荘」という名は、武蔵国(東京・埼玉)と相模国(神奈川)の境にあることから名付けられました。

    「無愛想」との洒落も込められており、次郎のユーモアが表れています。
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    ≪白洲次郎≫
    白洲次郎は、日本の実業家・政治家・外交官であり、戦後の日本の復興に大きな役割を果たしました。

    1902年に兵庫県芦屋に生まれ、裕福な家庭で育ちました。ケンブリッジ大学クレア・カレッジに留学し、西洋文化や自由主義思想を学びます。この留学経験が、彼の生涯の価値観や行動に大きな影響を与えました。

    終戦後、吉田茂の側近としてGHQ(連合国軍総司令部)との交渉に関わり、日本国憲法の草案作成にも携わりました。GHQに対しても一切媚びない姿勢から「従順ならざる唯一の日本人」と評されました。

    その後、経済界でも活躍し、東北電力の会長を務めるなど、日本の産業発展に貢献しました。
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    ≪白洲雅子≫
    一方、妻の正子はというと、随筆家・美術評論家として日本の伝統文化を深く探求した人物です。
    また、幼少期からの西洋的な教育と、日本の古美術・工芸への情熱を併せ持つ独自の感性で、多くの作品を残しました。

    1910年、東京・青山に生まれる。父は侯爵・樺山愛輔(政治家・実業家)という名門の出身。
    幼少期から能を習い、観世流の名人・梅若実に師事。これが後の美意識の基礎となる。
    12歳のときに渡米し、カリフォルニア州のセント・メアリーズ女学院に留学。流暢な英語を身につける。
    帰国後、18歳で白洲次郎と結婚。
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    次郎との結婚後も正子は自立した女性としての生き方を確立すべく、次郎と対等な関係を築き、単なる「夫の妻」としてではなく、自分の道を切り拓いていきました。
    女性が自由に発言し、行動することが難しかった時代にあって、妥協しない姿勢を貫いたのです。

    能の素養を生かし、日本の古美術や工芸品に造詣を深め、骨董や民芸に対する審美眼が高く、独自の視点で価値を見出しました。
    特に、無名の職人が作る「用の美」を重視し、柳宗悦らの民藝運動とも関わり、骨董や古民家の美しさを活かし、武相荘を洗練された空間に仕立てました。

    田舎暮らしの中でも、美しいものに囲まれることを大切にし、旅先で集めた器や布などを日常の中で活用し、生活と芸術を融合させた調度品は見事なものです。

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    ≪武相荘での生活スタイル≫

    1. 自給自足に近いシンプルな暮らし
    夫妻は、農作業をしながら暮らしていました。特に次郎は畑仕事を好み、野菜作りに励んでいました。
    家には電気や水道がなかったため、薪を使って煮炊きし、井戸水を汲む生活を送っていました。
    物資が不足する戦時中も、工夫を凝らして質素ながらも品のある生活を維持していました。

    2. 美意識に満ちた空間づくり
    正子は骨董や日本の工芸品に深い造詣があり、家のしつらえにもこだわりました。
    古民家を改装し、掛け軸や陶器など、洗練された日本の美が感じられる空間に整えました。
    シンプルながらも、物の価値を大切にする生活でした。

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    3. 知識人・文化人が集う場に
    夫妻のもとには、多くの文化人や政治家が訪れました。
    吉田茂、三島由紀夫、柳宗悦など、各界の著名人との交流の場としても機能していました。
    ここでの談話が、日本の政治や文化の流れをつくるきっかけになったこともありました。

    4. 白洲次郎の晩年の過ごし方
    政治の第一線から退いた後も、次郎は武相荘で静かに暮らしました。
    亡くなるまでこの地を離れることなく、自然の中で読書や執筆をしながら、最後まで自分のスタイルを貫きました。
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    武相荘(ぶあいそう)は、四季の変化を楽しめる美しい里山の風景に囲まれた場所です。
    白洲次郎・正子夫妻は、ここで自然と共に暮らしながら、季節ごとの風情を大切にしていました。

    ❀ 春(桜・新緑の季節)
    梅や桜が咲き、武相荘の庭が柔らかい色彩に包まれます。
    若葉が芽吹き、農作業の準備が始まる時期。白洲次郎も畑仕事に励んでいた。
    正子は旅好きで、春になると奈良や京都へ花見や古社巡りに出かけることもあったようです。
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    ☀ 夏(青葉と涼の季節)
    木々の緑が濃くなり、武相荘全体が涼しげな雰囲気に包まれます。
    古民家の土間や障子から差し込む光が、夏特有の風情を生み出します。

    次郎は畑で夏野菜(キュウリ、ナス、トマトなど)を育て、シンプルな食生活を楽しみ、正子は、陶器や漆器を涼しげなガラスの器と組み合わせ、季節感のある食卓を作っていました。
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    ♧秋(紅葉と実りの季節)
    庭のカエデやモミジが赤や黄色に色づき、美しい紅葉が楽しめます。
    正子は、秋になると再び旅に出て、各地の工芸品や骨董を探し求めました。
    武相荘の庭では柿や栗が実り、秋の収穫が行われます。

    夫妻は、秋の夜長を楽しみながら、静かに読書をすることが多かったということです。

    ❄ 冬(雪景色と静寂の季節)
    武相荘の茅葺き屋根に雪が積もり、一面の銀世界になることも。
    次郎は薪を割り、囲炉裏や薪ストーブで暖を取る。
    正子は冬の静けさの中で執筆を続け、多くの名作を生み出しました。
    家族で暖かい炭火を囲みながら、シンプルで上質な生活を楽しんでいたようです。
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    現在、武相荘は白洲次郎・正子記念館として公開されており、彼らの遺品や暮らしの様子が展示されています。訪れると、二人の生き方や美意識を感じ取ることができます。

    白洲夫妻は、都会の便利さを捨て、自分たちの価値観に従って武相荘での生活を楽しみました。
    その姿勢は、現代の「シンプルライフ」や「ミニマリズム」にも通じるものがあり、多くの人に影響を与え続けています。

    何か取り入れたくなるような、美しいセンスであふれている「武相荘」を一度訪れてみてはいかがでしょうか。

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